凡人以下の劣等生で社会不適合だったが起業したら年商5億円ならイケた話

今回は私が起業したら意外と上手くいった話をしたい。
起業ノウハウや成功哲学を語るつもりはない。お金を持てば幸福だなんて言うつもりもない。サラリーマンが社畜の豚で、経営者はイケメンで偉いと言うつもりもない。

「お金があれば人生の選択肢が増える」とかクソ。生き方は何だって良い。

ただの日記と思って聞いてくれ。

 


凡人以下の幼少期からの劣等学生時代

私は1984年に生まれた。西日本のとある地方都市で育った。
幼少期はマイペース且つ落ち着きがなく、ADHD傾向が強いタイプだった。小学生のときは学校が何をやっている場所なのか分からなかった。中学生のときは学校が何を教えてくれているのかほぼ理解できなかった。学生時代は椅子に座って授業を聞くという能力が欠如していた。宿題もやった記憶はない。教科書を読むという能力はちょっとだけあった。

参考:地方の中学校で体罰&セクハラしまくりだったサッカー部顧問・体育教師の話

大学には念のため進学した。大学にはほとんど行ってなかった。バンドをやったりイベントを企画したり、1人旅をしたりと自分なりにエンジョイしていた。読書も好きだった。

 

20歳くらいのときに「俺はこの先どうやって生きていくのか?」を真剣に考えた。サラリーマンになって、世の中の皆様と協調したり競争したりするのは難しいんじゃないか?と漠然と思っていた。個性を主張して「人と違う生き方がしたい」というよりかは、もっとネガティブな発想だった。世の中の社会人たちと同じレベルで‘頑張る’ことが自分にはできないと思っていた。

だから、この資本主義社会を自力でサバイブするために起業しようと思った
がしかし、なんだかんだで大学に入ったし、新卒採用というチケットもあるから、それを活用して一回サラリーマンを経験してみて起業につながる能力・スキル・知識を身につけようと考えた。

 

就職活動では、金融業界や経営コンサルの会社を大量に受けた。当時の浅い思考力で、起業するためには経営やお金周りの知識が必要と考えたからだ。大学では全く勉学に励んでいなかったし、学生時代に‘頑張ったこと’はもちろん何もなかったので、ウソをつきまくった。面接では盛りに盛って話をした。1ミリだけやったことを100センチの勢いで語った

凡人以下の幼少期からの劣等学生時代

 

その結果、1社だけ受かった。
そうして中堅の証券会社に就職することを決めた。

 

社会不適合なりに金融業界で辛酸を舐める

大卒後に入社した証券会社では、主に中小企業やベンチャー企業のオーナー経営者に対して資産運用の金融商品を営業する仕事をしていた。

私はなんとか滑り込みでこの会社に入ったものの、株式市場やファイナンスの知識はなかった。財務会計や税金、法律的な知識もない。経営者と話すだけの技量は全くなかった。自分にとっては難しい仕事だった。

 

それでも経営者との折衝はエキサイティングだった。舐められないように必死だった。勉強することだらけで平日の夜中まで仕事して、土日も稼働した。

良くも悪くも、個人事業主みたいな働き方だったので、1年目から独力で仕事をしていた。上司や先輩から業務に関する指導を受けた記憶はほとんどない。「自分で考えて、自分で調べて、自分で提案する」という感じだった。

私は人間関係を築くのが下手くそで、社内ではちょっと浮いてた。会社の飲み会とかも参加しなかった。

社会不適合なりに金融業界で辛酸を舐める

 

仕事はキツかったし、はっきり言って営業成績も芳しくなかったし、上司にキレられることも多々あったが、充実はしていた「起業する」という目標に向けて、辛酸を舐めるのは意外と楽しかった

上手にやれてたとは言い難いが、当初の目的であった金融や経営の知識を学び、営業スキルも一定レベルで身につけることはできた。経営者とはどういう人間なのかを肌感でつかむこともできた。

 

その時に新たに考えていたのが
結局は外部から会社や事業を見ているだけ。肝心の事業をやる能力は身についてないぞ…
起業するにしても、何のビジネスで稼ぐかの発想はなかった。

で、事業会社に転職することを決めた。

 

インターネット業界に転職してチャレンジ

事業会社に転職する上で、新規事業が生まれやすいインターネット業界にいこうと思った。インターネット業界ではベンチャー企業がブイブイ言ってるし、そのダイナミズムの中で、事業を作る側の経験が積めると思った。

たまたま運良く、インターネットサービス総合企業のメガベンチャーの会社に転職できた。そこでインターネット広告の営業の仕事をしていた。業界が伸びているし、知名度ある会社だったので、営業といっても余裕で受注が決まった。

インターネット業界に転職してチャレンジ

 

ただ、大きな組織なので、個人はオペレーションにおけるパーツだった。クリエイトする人や事業を作る役割の人は限られた人材の仕事ということに気づいた。その一方で作業をこなすだけでも毎日深夜まで働いていた。せっかく事業をクリエイトしようと思って転職してきたのに「これじゃただの作業マンだ」と後悔していた。

 

もう一つ嫌だったことがある。
それは社員が「この会社に所属している自分がカッコイイ」と思っていたこと。そういう帰属意識って普通の感情だし、それを社員に与えられる経営側はすごいと思った。でも私は「気持ち悪りぃな、こいつら」と思ってしまった。私がズレてるんだろう。不適合だった。

ということで、意気揚々と転職した会社を数ヶ月で辞め散らした。

 

失敗を経験してベンチャーで再起を図る

意気込んで転職したが失敗に終わった。
背水の陣という気持ちで、次にインターネットメディアの小さなベンチャー企業に入社した。インターネット広告の営業の仕事をしている中で、この会社の社長と繋がりができたからだ。

この会社はWebメディアサービスを中心にWebマーケティング支援などの事業を行っていた。社員が10人足らずで、売上もまだまだ小さかった。これから成長していこうという「熱」はあった

 

私がこの会社に魅力を感じたのは、規模的に小さくて、社長含めてメンバーが若くて、ゆるふわな雰囲気だったので、「俺レベルでも色々とチャレンジできるんじゃないか?」と思ったからだ。失うものはないので、暴れても良いだろうと思ったのだ。

それとWebメディアを運営しているので、企画単位でミニマムな事業を作る疑似体験ができると思った。小さなベンチャー企業なので、上だけ見て伸びることだけ考えようっていう雰囲気も良かった。

失敗を経験してベンチャーで再起を図る

 

この会社に入ったのは本当に良かった。
私はユーザーを増やすための企画やマーケティング、広告によるマネタイズの仕事をしていた。インターネットの仕事はデータで結果がすぐに見えるし、ユーザーの反応に応じて試行錯誤するのが楽しかった。社風もマッチしていた。細かい失敗を気にせずに、どんどんトライアンドエラーする働き方が良かった。社長もメンバーもゆるふわだけどアツイ気持ちもあり、会社も事業もみんなで伸ばしている感覚があった。完全に適合していた。

 

ここでの仕事は自分にハマって、自ら考えたマーケティング手法によって売上が10倍になったり、業界内でも話題になったりしていた。

今やっている自分の仕事で独立できるんじゃないか?」と思うようになった。

社長に相談したところ出資や協業の話をしてくれて、「今がベストなタイミングだ!」と思った。
※ちなみにこの社長については「お世話になった前職の社長が騙されて20億円の借金をつくり自己破産した話」の記事で紹介している

そして、ついに起業した。

 

起業したら意外とイケた。何が楽しかった?

私は30歳のときに独立・起業した。前職での業務経験を基に、Webメディアのマーケティングやマネタイズを支援する事業からスタートした。自分なりに蓄積してきたノウハウや経験があったので、ちょっとずつクライアントを増やすことができた。

最初は前職から仕事を頂いたり、前職の繋がりで案件を紹介してもらったりした。とにかく仕事を取るために、必死に営業した。人に会いまくって、謎の飲み会とかにも積極的に参加した。もうこの時は自分の能力やレベルがどうとか、社会に適合しているかorしてないかとかはどうでも良くて自分で作った会社でなんとしても結果を出してサバイブするそれだけを考えていた。無我夢中の状態だった。

起業したら意外とイケた。何が楽しかった?

 

起業してから色んなことが起きた。上手くいってると思ったら、マイナスなことも起きるってのが人生みたいだ。現実社会はアンコントローラブルだと痛感した。良いことも悪いことも経験した

20歳のときに想い描いていたビジョンを現実的に形できたのは、すごく達成感があった。自力で資本主義社会をサバイブできるようになった。

やる事業が徐々に拡大したり変化したりした。大口クライアントとの取引も増えた。社員もちょっとずつ増えて会社っぽくなってきた。小さな会社だけど筋肉質な収益体制で稼いでいる。直近では年商も5億円を達成した。

 

サラリーマン時代より収入が何倍にも増えて調子に乗ってしまった時期もある。取引先が倒産して売掛金3000万円が回収できなくなったりした先輩経営者に500万円貸したら返ってこなかった友達もいなくなった。働きすぎて眠れなくなって体調を崩してパニック障害になって絶望していたときもある。

参考:30歳で起業して死ぬ程働いてたら数年後にパニック障害になって絶望した話

紆余曲折を経て、現状は安定してきた。今時点で振り返ってみると楽しかったのは起業して1~2年目の頃だと思う。なんならサラリーマン時代も楽しかった。

サラリーマンのときも起業初期も、お金なんてなかったし不安定だった。今の自分は「お金があって人生の選択肢がある」状態かもしれない。

 

でも…

『この選択肢しかない』と思い必死に生きてきた20代~30代前半はエキサイティングで楽しかった。

あくまでも私の考えだが、「選択肢を増やすために、今はお金を稼ぐ」とか「自由になるためには、経済的自立」とかを若い人に言う奴がいるけど、あれはクソ

『自分にはこれしかない』と思ってそれに熱中して生きるのが絶対楽しいと思う

 

もしかしたら思い出補正で過去を美化しているだけかもしれない。今に満足してしまって退屈しているからかもしれない。

まぁそれに対する打開策も考えている。今だからできるやり方で新しいチャレンジをやってみるさ。

 

〆のことば(メタメッセージ)

異論や批判、叱咤激励も大歓迎だ。

俺を否定しに来てくれ。もちろん話を聞くつもりはない。

奇跡的にこの文章を面白いと思って頂き「コイツはどんな奴なんだい?」と興味を抱いた人がいたら、現X(旧トゥウィッター)でコンタクトして頂ければです。よろしくお願いします。